第1回 朗読と私(朗読との出逢い)
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日々の思い
プロフィール
Keiko

40代の前半に、それまで勤めていた会社の成績が悪くなって
地方へ移ることになり、ついていけなくて失業しました。
その頃でもなかなかいい仕事がなくて、仕事探しは大変でした。
その最中に安い会費で朗読を教えてくれるサークルを見つけて、見学に行きました。
そこで、なにか読んでみなさいと言われて、森鴎外の「山椒大夫」
(いわゆる「安寿と厨子王」)の一節を読んだのです。
そうしたら年配の女の先生が目を輝かせて
「あなたはとてもいいものを持っていますね。」と言ってくださいました。
その瞬間から、私は朗読が大好きになりました。
今、人は褒めることだと、しみじみと思います。

 それから、朗読を続けながら、仕事探しを続けました。
採用されたこともありましたが、中途採用ですと、即戦力が要求されますので
気の利かない、一度にひとつのことしか出来ない私は、試用期間が終わって
解雇されたり、また、今なら、セクハラと言ってもいいようなことがあって
こちらからやめたりの連続で、苦労しました。
その間、本当に、朗読が支えになってくれました。
心をこめて朗読することで、現実の辛さが忘れられました。

 長い間、正社員の仕事ばかり探したのですが
やっと、もう、仕事はアルバイトでいいと、開き直った頃です。
朗読のサークルの年一回の発表会では飽き足らず、
もっと発表の機会がほしいと思っていた私は、ある新聞記事を見つけました。

 「サラリーマン文化芸術振興会」(略して「サラ文」)の紹介記事です。
仕事を持ちながら、パフォーマンスする芸を持っている人たちの集まり。
東京を中心に、数百人の会員がいる。
入会すると、仲間が出来て、発表の場も増えると書いてありました。

すぐ、入会しました。そして、初めて、例会に出席したとき
若桑みどりさんという女性の美術史家の方の「虹と老人」という短いエッセイを
会員の皆さんの前で読んだのです。会員の方々は、じっと聞いてくださいました。
そして、暖かく迎えてくださり、励ましてくださったのです。 
その会に入って、たくさんのアマ、セミプロ、プロの、ユニークな芸人さんたちと知り合い
いろいろな場所で朗読をするようになりました。

 また、この会に入ったことがきっかけで、講談師の田辺一鶴(たなべ・いっかく)師匠と
知り合いになり、むちゃくちゃ面白い師匠の、お仕事を手伝うようになりました。
 若い方はご存じないかもしれませんが、東京オリンピックの頃、
「東京オリンピック」という題の新作講談で世に出て、一世を風靡なさった方です。
長い口ひげと、奇抜な講座で有名でした。

 師匠のところで、いろいろな意味での勉強をしました。
けれど、師匠も私も、ビジネスの才能がないので、
やがて、新宿の事務所を閉じることになり、師匠のもとを離れました。

 師匠は、江戸川区平井の自宅に住み、今でも、活動を続けていらっしゃいます。
それから、少し時間がたって、私は、一応、朗読のプロとして、一歩を踏み出しました。

朗読の指導や、司会、講演などをしています。
また、年一回、私の朗読会、「keikoのスクラップ・ブック」も開催しております。

これから、いろいろと大変だと思いますが、ぼちぼち、やっていきたいと思っています。