野に秋風の吹き初(そ)める頃であった。いつものように清盛が妓王を侍(はべ)らせて、酒を楽しんでいると、小者が入ってきて告げた。「只今、都で評判だとか申す仏(ほとけ)という白拍子が参りまして、御前で一さし舞いたいと申しております。いかがいたしましょう。」「何。」みるみるうちに、清盛の額に青筋が浮いた。「わしに妓王という者がおるのを知っての上でそのようなことを申すのか。舞いならいつでも、この妓王が見せてくれるわ。追い返せ、そのような者。」怒りを爆発させると、清盛は荒々しく座を立とうとした。「お待ち下されませ。」妓王は、やさしく清盛を押し止(とど)めると、小者に聞いた。「その仏とか申す者、年齢(とし)は幾つぐらいなのですか。」「はい、見たところ、十五、六でもありましょうか。なかなかきかぬ気の娘と見受けました。」妓王の目に、妹の妓女の顔が浮かぶ。「ねえさま、寒いよう。」と、震えながら、しっかり姉の袖にぶらさがっている幼い日の妓女である。「殿様、その者、お召しになってはいかがでございましょう。芸人が御前で芸をお見せしたいと申してくるのは常の事でございます。さすれば、その中に白拍子がいたとて不思議はございません。まして、聞きますれば、その者はまだ年齢も若いとか。勝気な娘のようでございますもの。追い返しましては、どのように恥ずかしい、情けない思いをいたしますことか。私も元はと言えば白拍子でございます。他人事(ひとごと)とは思えませぬ。どうか、その者を、御前にお呼びなされて下さいませ。」日頃、愛(いと)しく思っている女に、このように言われては、清盛とて腹を立てる訳にいかぬ。このようにして、仏は、清盛と対面することになった。
肌寒い夜である。庭先に、明かりがこうこうと、ともされた中に、仏は、静かに座って、清盛を待っていた。やがて、清盛は、妓王を後ろに従えて、足音も荒く、縁先に出て来た。庭に控えている娘を一目見ると、清盛は荒々しく口を開いた。「そちが仏か。わしは、舞など見とうはないのじゃが、妓王がたってと申すので、お前を呼んだのじゃ。それでは、何か舞って見せてくれ。」ろくろく、娘の顔も見ずに、こう言い放つと、ぽんと、腰を落とした。仏と名乗る娘は、きらりと目を光らせると、静かに舞い始めた。初めは、なにやら得体の知れぬ舞であった。白拍子は、ゆるやかに体をくねらせる。やがて、聴きなれぬ笛の音が、どこからともなくしてくると、踊りは急に激しくなり、踊り子の手も足も、五体がめまぐるしく、動き始めた。秋の夜の虫のすだく庭先は、一瞬、陽光に照らし出され、草花の乱舞する真夏の庭になりかわった。並み居る人々は、声もなく、息をのんで踊りを見つめるのみである。やがて、猛(たけ)り狂うつむじ風が、あっという間に通り過ぎるように、舞は一瞬にして終わった。しばらくは、満座に声もなかったが、やがて感嘆の声が、方々から発せられた。妓王は、ふと、我にかえって、清盛の顔を見た。そして、そこに見出したものに驚いた。清盛の目は、らんらんと光り輝き、頬は紅潮していたのである。それは、いつも妓王が目にしている清盛ではなかった。やがて、清盛は、飛び上がるようにして、言ったのである。「仏、明日もそなたの舞を見せてはくれぬか。」 (続く)
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