連載小説 第五回 「妓王」〜「平家物語」に基づく〜

 妓王は清盛を待っていた。ここ数日、清盛は妓王のもとへ足を運ばず、呼び出しの使いも来なかったのである。秋の深まった今日この頃、妓王の胸にも秋風が吹き始めていた。あの仏という娘の舞を見終わった瞬間から、妓王は、清盛の心が自分から離れていくのを感じた。もともと清盛は、暖かくやさしい人の手にいたわられる傷ついた鷲のような存在だったのだ。鷲は傷が癒えれば、人の手を離れて、大空へ飛び上がるものである。しかし、そうわかってはいても、妓王には割り切れぬものがあった。妓王は清盛を愛しはじめていたのである。
 初めは、安楽な生活や、母と妹の暮らしの安定を思って受けた清盛の愛であったが、人には見せぬ、やさしい、弱々しい面を、妓王にだけ見せて、母鳥に羽すりよせるひなどりのような清盛を見るにつけ、いつしか母性的なともいえる愛情を、妓王は清盛に注ぎ始めていたのである。しかし、それも、仏の出現で、粉々に砕け散ってしまう運命にあった。せめて最後にもう一度(ひとたび)、清盛の顔を見たいと願う妓王であった。

 清盛はやって来た。ある夕方、威勢の良い足音がしたかと思うと、ぬっと姿をあらわしたのだ。これまでの訪れとはまるで違うあらわれ方であった。清盛は、床に、どっかと腰をおろすと、ためらいもなく言った。「妓王、そなたには、充分手当てをつかわすから、明日、この屋敷を出てくれぬか。」やはり、思っていた通りの言葉であった。清盛は続ける。「これまでのこと、本当に有り難いと思っている。そなたは、権勢にうみ、疲れ果てていたこのわしを、やさしくいたわってくれた。おかげでわしは、ひさしく感じたことのない、人の心のやさしさを、心ゆくまで味わうことができた。ところが、こたび仏があらわれて、わしの心は変わったのじゃ。仏は、力と情熱そのものじゃ。わしは、そなたがあらわれて以来、忘れていた、昔のわしの、燃える心を思い出した。わしには、新しい野心ができた。この上の望みなどない、行き着くところまで来てしもうたと思っていた、このわしにだ。それは、そなたにも言うことのできぬ望みだ。大それたことかもしれぬ。わしも、年老いたからのう。しかし、仏を見ていると、わしは、あの頃の力が全身に戻ってくるのを感じる。わしは、再び若者に戻ったような気持ちになるのじゃ。のう、妓王、わしは、この野心をなんとしても果たすつもりじゃ。そのためには、仏がいる。おなごの力などと、世間の者は侮るかもしれぬが、わしにとっては力の溢れ出てくる泉のようなものなのじゃ。」
 ここでしばらく口をつぐんで、再び語りはじめる。
「それにつけても妓王、そなたのことじゃが、わしは、そなたを見る度に、心がやさしくなるのを感じる。やさしい心では、このたびの志を果たすことはできぬ。今のわしには、仏は必要じゃが、妓王、そちはいらぬのじゃ。」    (続く)

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