連載小説 第九回(最終回) 「妓王」 平家物語に基づく

私は、、かくあろうとは思っていたことでございますが、さすがに、あっと息をのみ、声も出ません。
「生きておりました間は、そなたにも世話になりましたな。礼を申しますよ。」
二位殿は、自分をじっと押さえておられるご様子でした。
「私も、あの方とは、若い頃から苦労を共にし、あの方のご出世のためなら、どのようなことをも厭わず、働きました。あのお方の胸に志の炎が燃えるように、ひたすら、自らの心を燃やしたのです。でも、私は、年をとってしまい、昔の情熱はうすれてしまいました。あの方も年をとられました。そこにあらわれたのが、そなたです。そなたは、あの方の胸の余燼(よじん)に火をつけたのです。そして、ごらん、あの方の火は燃え過ぎてしまった。狂ったように燃えて、あらぬ望みを抱き、とうとう、我とわが身を燃やしてしまわれたのじゃ。」二位殿は、しばらく口をつぐみ、やっと又、口を開かれました。
「そなたを恨んでも、せんないことかもしれない。あのお方は、生涯、なにかを追い求めていなければ、生きていられなかったのでしょう。妓王がおりました頃は、お心もやさしくおなりで、もうこのまま年老いてしまわれるのかと思っておりましたのに。ああ、恨むまいとしても、どうしても恨まずにはいられない。そなたの顔、もはや見てはいられぬ。ああ、どうか、出て行っておくれ。はよう、はよう。」
二位殿は、突っ伏してしまわれました。肩をふるわせておられます。
私は、その場にいたたまれなくなって、庭へとびだしました。
私の胸にも去来するものがございます。私は、清盛様に、私の生涯で花ともいうべき時期を捧げました。若い心のおもむくままに、日々を過ごして、気がついた時には、私の心の炎も消えていたのでございます。私の花の時代は、清盛様と共に終ったのだ。そう思いました。私は、しののめの薄明かりの中を、あてどなくさまよい出ました。気が付いたら、ここにいたのでございます。あなた様を追い出したも同然の私でございますが、どうか哀れと思し召してくださいませ。」仏は、身を震わせると、竹藪の中へ駆け入ろうとした。妓王は走り寄って、仏の肩を抱いて押しとどめると、静かに歌いだした。
「野の花は
ものおもわずに 咲き初(そ)めて
ものおもわずに 咲き匂い
ものおもわずに 散りて行く」
それは、白拍子として、都にいた頃と少しも変わらぬ、澄んだ美しい声であった。
「仏殿、私たちも、野の花として、ここで共に咲き、共に散っていきましょう。」
仏は静かに泣き崩れた。

こうして、嵯峨の里に、四人の尼は、静かな日々を過ごすようになった。

それからしばらく後、平家一門は、西海(さいかい)の波に散ったという。

                                   完

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