“拝啓”の啓子さん

 私の名前は“啓子”といいます。
電話で、資料などを送ってもらうように頼む際、「拝啓の啓です」といくら説明しても、若い人には分かってもらえません。

「分かりました」という答えがあっても、送ってくる封筒の宛名は、たいていの場合、 敬子様、とか恵子様となっています。
今の若者たちは、めったに手紙を書かないでしょうから、仕方ありませんけれど。

この“拝啓”の啓子という名前は、ある時期に生まれた方に、とても多いと聞きます。 たしかに、そうではないかと思います。
知人にも同じ名前の人が数人います。

その理由は、といいますと、もうずっと前に、朝日新聞の天声人語の欄に書いてあったように記憶しているのですが・・・

「暖流」という小説があります(岸田國士作)。
昔、それが映画化された時、「啓子さん」という名前のヒロインを、若き日の高峰三枝子さんが演じられました。

その「啓子さん」が、なんとも素敵だったそうで、映画を観た少年たちが、みな「啓子さん」に憧れ、大人になって結婚し、女の子が生まれた時、将来、素敵な女性になるようにとの願いをこめて、「啓子」と名づける例が続出したということです。

なるほど、と思いました。

私の場合もそうなのかと思って、父に尋ねましたところ、そうではない、という答えが返ってきました。

“啓”という字には、“ひらく”という意味があるそうです。

将来、自分の道を自分で切り開いて行くようになってほしい、という願いをこめて、「啓子」と名づけたそうです。

そのとおり、自分の道を自分で切り開いていくような運命になってしまいました。

時々、これでよかったのかな?と思いますが、これまでのところでは、なかなか波乱に満ちた、面白い人生だった、ようにも思えます。

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