アクセント そして “なまり” について

 まがりなりにも、朗読を教えていますと、アクセントの問題は、避けて通れません。
近頃は、ひどい“なまり”のある方は少ないですが、ほとんどの方が、少しは問題を持っていらっしゃいます。
(私は、この“なまり”という言葉は嫌いなのですが、言い換えるべき言葉がないので、やむを得ず、使っています。)
なまりを指摘されて驚き、一生懸命練習して、だいぶ共通語のアクセントに近づく方もいらっしゃいますが、ご年配の方は、なかなか治せるものではありません。

ある時、一人の年配の女性の生徒さんが、なまりを指摘されて、「私が関西の生まれ育ちであることを否定されたような気がした」と、悲しそうにおっしゃいました。
彼女は、その頃、関西から東京に越してこられたばっかりだったのです。
これは、私にも、生徒さんたちにも、ショックを与えました。

また、同じクラスに、アマチュアレベルとしては、なかなか上手な、中年の生徒さんがいらっしゃいます。
彼女は、かなり、なまりがあります。
でも、そのなまりにもかかわらず、人の心を打つ、よい朗読をなさいますので、生徒さんたちの間に、彼女の朗読のファンがいるほどです。

いろいろ考えて、私は、アクセントの間違いは、それほど、チェックしないことにしました。
深刻な間違いだけを指摘することにしたのです。

例を挙げますと、これは、どの教室にもいらっしゃいますが、

詩 と 死 を混同される方です。

多分、その生徒さんたちは、同じ地方のご出身ではないか、と思います。
これは、間違われるたびに指摘します。
治らなければ、そのつど、指摘することになりますが、仕方ありません。

また、“なまり“といえば、よく思い出すのですが・・・

若い頃、ある都心のホテルの売店で働いていたことがあります。
そのホテルには、寺山修司さんが、原稿を書くためだと思いますが、時々、数日の間、滞在されていました。
寺山さんは、気晴らしのためもあるのでしょう、時々、売店に買い物に来られるので、よく立ち話をするようになりました。
最初は、寺山修司さんだとは、気がつかなかったのですが、それが、かえってお気に召されたのだと思います。
私たちは、他愛ない話を交わしていましたが、寺山さんの言葉には、ご出身の東北のなまりがありました。
そのなまりを聞くと、とても暖かいお人柄のように思えました。
時々、少しの時間、お会いするだけでしたから、本当に暖かいお人柄なのかどうかは、分かりませんでしたが、少なくとも、それは、寺山さんのチャーム・ポイントの一つだったと思います。

また、学生時代の同級生に、九州から出てきたばかりの人がいました。
女性には、めずらしいかもしれない、さばけた、懐の大きい方で、彼女の九州なまりは、彼女の人柄の一部のようになっていて、人気者でした。

“なまり”は、決して、悪いものではありません。

できれば、出身地の方言が完璧に話せて、共通語も完璧に話せるようになれば、日本語のバイリンガルと言えて、素晴らしいのですが。

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