田辺一鶴師匠の思い出                うぐいす

以前、新宿永谷ビルの一鶴事務所に勤めておりました、佐藤啓子と申します。
事務所では、師匠の助手として、いろいろな仕事をしましたが、今は、
朗読の講師をしております。
朗読は、講談と違いまして、暗記をしません。
このスピーチも、原稿を読ませていただきます。

事務所に勤め始めた頃、こういうことが、ありました。
私が、出勤すると、師匠が、沈痛な顔で、
「えーさんが、なくなったよ」とおっしゃったのです。
ちょうど、その頃、永六輔さんの本「大往生」が、ベストセラーになっていたので、
私は、思わず、「えっ、永六輔さんが亡くなったんですか?!」
とお答えしてしまいました。
本当は、A3のコピー用紙が残り少なくなったということなのでした。
その頃、師匠は、ワープロや印刷機を買い込んで、講談のお仕事のかたわら、いろいろなことをしていらっしゃいました。
将来は、印刷機を使って、貴重な講談本の復刻もなさるおつもりだったようです。
その時は、大笑いでしたが、
今回は、そういうわけには行きません。
「えっ、師匠が亡くなったんですか?!」ですね、まさしく。

師匠は、とても、可愛い方でした。
ある日、お仕事に行かれる時、紫の着物をお召しになったのですが、それがとてもよく似合うように思いましたので、「師匠は、紫がお似合いですね」と言いましたら、それから当分の間、紫の着物ばかり着ていらっしゃいました。
そのことを、あとで、おかみさんに話しましたら、「そうなのよね〜、いつかも鶴女が、師匠は、黒がお似合いだと言ったら、それから、しばらく、黒ばっかり着てたのよ」
ということでした。
鶴女さん、呼び捨てにしてごめんなさい!

師匠とおかみさんは、お幸せだったと思います。
雑誌のインタビュー記事で、おかみさんの若い頃のお写真を拝見して、とても綺麗で可愛いいので、師匠にそう申し上げましたら、「本当に可愛かったなあ、結婚して一年くらいの間は、どこへ連れて行くのも、うれしかったよ」
とおっしゃいました。
おかみさんは、今もお綺麗ですよ、念のため。

おかみさんも、以前、師匠のいろいろなことを話してくださったあとで、「あの人と結婚して、本当に大変だったけど・・・でも、ああ面白かった!」
とおっしゃったことがあります。

師匠は、お仕事で、たくさんの人々を愉しませられましたが、そのやんちゃ坊主のようなお人柄のユニークさと、にじみ出る可愛らしさで、私たち身近にいる者をも、とても愉しませてくださいました。
そして、あっと言う間にあの世へ旅立ってしまわれました。
師匠、あの世でも、皆さんを愉しませてくださいね。
でも、あまり、やんちゃをしないでください。
この世へ送り返されて来たりしたら、大騒ぎになりますからね。

(2010年2月9日、亀戸のカメリア・ホールで、田辺一鶴師匠のお別れ会が開かれました。その際、スピーチを頼まれたと仮定して、文章を書いてみました。実際には、宝井馬琴先生をはじめ、そうそうたる方たちが、スピーチをなさいました。師匠は、2009年12月末に亡くなられました。80歳でした。私たちはみんな、師匠はもっと長生きされるだろうと思っていましたから、ビックリしました。)

田辺一鶴師匠のことをあまりご存じない方は、私のエッセイの欄、「keikoの切り抜き帖」 の 第4回 「私の友人田辺一鶴」をご覧下さい。

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