田辺一鶴(たなべ いっかく)。

この名前を知っているのは、もう、かなり年配の人に限られるだろう。

講談の田辺派家元。東京オリンピック開催の頃、同題の新作講談をひっさげてマスコミに登場し
型破りの言動で一世を風靡した人だ。

現在、古希を過ぎて健在。トレードマークの長いひげはすっかり白くなったが、まだまだ元気。
江戸川区の自宅に住み、芸能活動を続けている。

私は、数年前、一鶴師匠の仕事を手伝ったことがある。新宿にあった小さな事務所を中心に、
いろいろな仕事をした。寄席や講演会の際の鞄持ち、留守番、新聞の切り抜き、蔵書整理、
カルチャーセンターの話し方教室の助手、講談大学の助手等々。

とりわけ面白かったのは、新作講談の口述ワープロだ。師匠が、集めてきた資料を
頭の中で整理し、口述をはじめる。それを聴きながら、私がワープロに入力する。
無味乾燥な資料が、たちまちのうちに、面白いお話に変わっていく。魔法のようだった。

師匠は、とびきり変わった人だ。事務能力がまったく無く、事務所の中は、
資料や書類その他がうず高く積み重なっていた(時々私が整理するのだが、これが大仕事。
なにしろ私自身も整理が苦手な方なので)。一度に一つのことしかできず、
思いつくはしから行動し、前にしていたことを忘れてしまう。思い立つと、急に、
行き先も告げずにとびだしていく。しょっちゅう忘れ物をする。仕事先の場所や時間だけは
忘れないのが不思議な位だった。野次馬で、自宅から一軒置いた隣の家が火事になった時など、
撮影するのだと言ってきかず、カメラを持って走りまわるので、おかみさんが大変困ったそうだ。

奇人と言っていいし、また、そう言われても平気な師匠なのだが、その根っこにあるのは、
少年のような心だと思う。つきなみな言い方だが、永遠の少年と言えるかもしれない。

「俺はこの世に遊びに来てるんだ!」と、若い頃のインタビュー記事で発言していたが、
その通り、世の中のあらゆるものに興味を持って、とびまわる。

将棋、野球などの趣味をはじめとして、古書店経営もしたし、ワープロ、パソコンも
自在に操作する。印刷機を買い込んで、貴重な講談本の復刻などもする。好きな話題になると、
目を輝かせて話に熱中する。また、女の人に惚れっぽく、憧れの女性(ひと)の前では
頬を染めて下を向いてしまう。「日頃、俺は男だ!」と言わんばかりに威張っているくせに、
困ったことが起きると、すぐ、しょげて肩を落としてしまう。
そんな時、師匠を一人置いて帰らなければならない私は、師匠がかわいそうでしようがなかった。
しょげている後姿が、幼い子供のようなのだ。「がんばって!」と言いたくなった。
そして、ファンがそう呼ぶように、「イッカクさーん!」と呼びかけたくなったものだった
(“友人”にしちゃってごめんなさいね、師匠)。

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第4回 私の友人、田辺一鶴