南十字星の下に

佐藤友之介

潜水艦に追われ、やっとの思いでマニラに辿りついた私は、兵站宿舎に落ち着くいとまもなく、鉛筆書きの地図をたよりにR街へいそぎました。
たずねあてた店は、スペイン系の混血娘が大勢いる喫茶店でした。
16〜7才のウェイトレスに、M子さんがいたら呼んでくれるようにとたのんで、久しぶりのコーヒーの香を楽しんでいると、私のそばへいぶかしげに近寄ってきた小柄な娘さんが、“M子ですが”と声をかけました。
“越智見習士官を知っている?”問いかける私の言葉に、サッと顔色を変えた娘さんは、
“知っています。知っています!越智さんいまどこにいます?いつマニラへかえりますか?”矢つぎ早に詰め寄って来る気勢に押されながら、私は軍服の内ポケットから取り出した一通の封書を手渡しました。
差出人に目を落とした娘さんは、それを抱くようにして奥へ駈け込んで行きました。
その封書は、私が、いよいよ明朝ラバウルを発って内地へ帰還するという日の夜更け、夜露に光る椰子林のなかで越智見習士官から託されたものでした。
師範学校を卒業後、ただちに入隊し、幹部候補生教育を受けて見習士官に任官した同君は、南方戦線への配属の途次しばらくマニラに滞在しました。そして、たまたまこの喫茶店で彼女を知ったのです。軍国に青春を捧げた青年士官と、戦火の跡に咲いた一輪の花にもたとうべき純情な乙女は、いつしかたがいに愛し合う仲になって行きました。彼女の家へもたびたび遊びに行ったようです。父親は、ハイスクールの先生だったそうで、家にはピアノもあり、音楽好きの越智見習士官のひくピアノに合わせて家族一同で合唱するときなど、遠く祖国を離れた同君にとってはこの上もなく幸福なひとときだったようです。急遽転進を命ぜられた同君は、行先を告げることも出来ないままに、マニラを後に赤道を越え、ニューブリテン島ラバウルに上陸し、私の中隊へ配属されたのでした。
“このなかには、二人のイニシアルをきざんだ銀の十字架と手紙、それに日本をたつとき持ってきた日本紙幣が入っています。マニラに上陸されたら是非彼女に会って下さい。そして、これを渡してやって下さい。日本紙幣は、マニラで使えるように軍票と交換してやって下さい。”こういいながら封書を差し出した越智見習士官の目には涙が光っていました。
しばらくして出てきた彼女の、涙に濡れた黒い瞳は清らかな美しさでみたされていました。
“ありがとうございました。十字架と日本のお札は、一生肌身離さず持っていたいと思います。軍票と交換していただかなくて結構です。”溢れようとする涙をこらえながらこう云い切った彼女の顔に、文学を好み音楽を愛した越智見習士官の顔が重なり合って、私もいつしか涙ぐんでしまいました。
マニラから特殊船舶に便乗を許された私どもは、三年ぶりで初秋の日本へかえりつきましたが、私どもの所属していた部隊はニューギニヤの対岸地区に移動し、進行して来た敵を迎え撃って壊滅状態に陥入り、越智見習士官は壮烈な戦死をとげたということです。
終戦の月、8月を迎えるたびに、私は、越智見習士官やM嬢のことをなつかしく思い出します。長い戦場生活の間には多くの戦友が戦死しました。だれもかれも、みんな数々の思い出をわかち合う人びとでした。しかし、どうした訳か、越智見習士官の印象ほど鮮烈に、私に若い日の情熱を呼びさましてくれるものはありません。同君のことを思うと、私の胸はジーンとしめつけられ、目がしらに熱いものがにじみ出るのをどうすることも出来ません。それほど、同君は純粋な、情熱に燃えた若人であり、若い私に人一倍強烈な印象を刻み込んだのでしょう。別れに臨んで同君は、次の言葉をしたためて呉れました。恐らくこれが同君の絶筆になったのではないかと思いますが・・・

「凡そ人は願いに生くとか、我も亦希い在り、そは、美しき浄きを常に愛せむと」
(原文のまま)

その信条のままを生き、そして、美しく浄く散っていった越智見習士官の面影を伝えるこの筆跡を遺族の方々へ差し上げたいと思い続けながらも、未だにその機縁に恵まれません。
あれから26年、同君の遺骨は、今でも仏桑華の花が真赤にさき乱れた丘の上に埋まったままになっているのではないでしょうか?
いつの日か、現地を訪れ、香華をたむけ、同君の霊を慰めてあげることの出来るのを祈り続けている私です。
(7月29日記)

*上記は、私の父、佐藤友之介が、終戦後26年目に、勤めていた会社の社内報に載せたエッセイです。その後、このエッセイに登場する越智見習士官のご遺族と連絡が取れ、絶筆をお渡しすることができました。
父は、今年(平成23年 2011年)5月2日に、98才で旅立ちました。
私の第1作のCD「朗読会 keikoのスクラップ・ブック」(2006年発売)に、小泉八雲の「耳なし芳一の話」などと一緒に、このエッセイの朗読も収録しました。
佐藤啓子(keiko)

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