“コア石響”と桜井美紀さんの思い出

 四ツ谷駅から10分ほど歩いた静かな住宅街の一角のマンションの地階に“コア石響(しゃっきょう)”という名称のホールがあった。
 このユニークな名前は、マンションに建て替えられる前の家が明治時代のもので、立派な石庭があったことに由来するという。コンサートや朗読会などがさかんに行われる、こじんまりとしたホールだった。歌手の波多野睦美さんや、知り合いの尺八演奏家のコンサートなどで、たびたび通ったものだ。
 催しは夜が多かった。暮れなずむ道を、迎賓館を左手に見ながら歩くのは、気持ちがよかった。
 数々の催しの中で、とくに記憶に強く残っているのは、ストーリー・テラー、桜井美紀さんの語りの会だ。美紀さんの語りは、外国や日本のお話、そして、ご自分の創作などを元に、知的に練り上げられたものだった。
 語りながら、聴き手の反応をうかがい、考えながら、その続きを語られる。なかなか、クールな方のように思えた。
 “コア石響”以外にも、いろいろなところで、語りの会を開かれ、また、“語り手たちの会”を立ち上げられ、全国に、多くの会員を持ち、講演や、語りの指導などで、日本全国や、時には、外国も、精力的に、飛び回られていた。
 桜井さんとは、私が、まだ、朗読の仕事を始める前に、ふとしたことで知り合い、一度、お宅にうかがったことがある。将来、朗読の仕事をしたい、という私の夢や、桜井さんが語られたことのある、小泉八雲夫人、節子さんの「思い出の記」を、一度、朗読してみたい、などとお話したので、興味を持たれたのだろう、「これから、時々、お遊びにいらっしゃらない?」と言って下さった。けれど、身辺の変化や、いろいろなことに取り紛れて、以後、おうかがいすることはなかった。桜井さんは、その後、私の朗読会に来てくださったこともある。
 桜井さんのストーリーテリングで、とくに良いと思ったのは、“コア石響”での、「妖精族の娘」だ。アイルランドの作家、ロード・ダンセイ二の原作による。産業革命の時代が背景になっているのだと思うが、自然の中での生活と、都会の生活との比較が、テーマと言って良いかもしれない。途中、教会の中から、讃美歌が聞こえてくる場面では、若手の声楽家が、舞台脇で、聖歌を歌われた。
 この他にも、照明などを使い、聴き手に臨場感を持たせるよう、工夫をしていらっしゃると感じた。
 これらの工夫のせいもあるだろうが、美紀さんの語りを聴いていると、アイルランドの風に吹かれているような気がしたものだ。
 以前から、美紀さんは、語りと朗読の交流を考えていらしたようだ。私が、朗読の仕事を始めて、何年か経ったころ、“語り手たちの会”に、入会しないか、とのお誘いがあった。集団の中で、うまくやっていけない私は、丁重にお断りしたが、無名の朗読家、朗読講師としてがんばっていた私は(今でも、そうだが)、美紀さんが、私のことを念頭に置いてくださっていることが分かり、うれしかった。
 その後、美紀さんは、朗読も始められた。聴きに行ったが、正直言って、今ひとつと思えた。もっとも、美紀さんとしては、ストーリーテラー風朗読という線を考えておいでだったようだ。美紀さんは、先年、惜しまれつつ旅立たれた。まだ、70代だった。美紀さんの、ストーリーテラー風朗読が、これからどうなっていくのか、見届けたかったと思う。残念だ。
 “コア石響”は、先年、一応、営業を終えたが、2009年より、“絵本塾ホール”と名を改め、改装し、“響きの空間”としてよみがえったそうだ。

back home