美男・美女でないと恋愛できない?

 ある日の授業の際、年配の生徒さんが「私、昔、美男・美女でないと、恋愛できないと思っていたの」と、おっしゃいました。その生徒さんや、私の母などが女学生だった頃、よく観ていたという、いわゆる“往年の名画”、例えば「うたかたの恋」、「哀愁(ウォータールー・ブリッジ)」、「ガス灯」などには、いずれも、当時一流の美男・美女の俳優さんたちが出演していました。シャルル・ボワイエ、ダニエル・ダリュー、ロバート・テイラー、ビビアン・リー、イングリッド・バーグマン etc。

たしかに、世間知らずで、夢見がちで、うっとりと映画を観ていた娘たちの中には、綺麗な男女だけが恋愛できるのだ、と思い込んでしまった人もいたかもしれません。

実は、時代は、少し新しくなりますが、私自身もそうでした。私は、若い頃、ガラスのような心臓を持っていましたので、平日の昼間など、電車に乗った際、向かい側の座席に座っている人たちと目を合わせるのが、恥ずかしくてたまらず、いつも、下を向いて本を読んでいました。また、街を歩く時も、まっすぐ前を向いて、目的地までさっさと歩き、用事がすむと、同じようにして帰ってくる、という具合でした。

アメリカのTVドラマが好きでしたから、テレビは、よく観ていましたが、一般の人たちが、どういう顔立ちで、どういう格好をしているか、ということに関しては、まったく無知でした。そして、私も、やはり、美男・美女だけが恋愛できるのだと思っていました。

中年になって、心臓に少し毛が生えてきてから、やっと、世間の人たちの顔や服装を観察できるようになりました。そして、初めて、世の中には、美男・美女というものが、どんなに少ないか、ということに気が付いたのです。

マス・メディアのおかげで、みんな、自分によく似合った服を着、綺麗にお化粧をしてはいますが、いわゆる“眉目秀麗”とか“明眸皓歯”といった人たちには、めったにお目にかかれません。

大勢の人の顔を見られるようになった今、あらためて思います。神様は、整った容姿の人たちだけでなく、どんな容姿の人でも恋愛できるように、人間をお創りになったのだと。そうでなければ、人類は、ここまで存続してこられなかったことでしょう。

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