「稲むらの火」と中井常蔵さんの思い出

 

 朗読と出逢う前、当時勤めていた会社のお昼休みに、近くの書店で一冊の本を見つけました。「小泉八雲 西洋脱出の夢」という題で、著者は、比較文学者の平川祐弘さんという方です。新聞の書評を読んで、その本について、少し知っていたので、迷いなく買い求めました。

 この本を読んで、それまで、「耳なし芳一」や「雪女」の作者としてしか知らなかった小泉八雲が、私の目の前に立ち現われてきました。八雲は、ラフカディオ・ハーンとして、ギリシャの島に生まれ、アイルランド、イギリス、フランス、アメリカ、そして西インド諸島などを転々とし、明治23年(1890年)39才の時に、日本にやってきました。  日本でも、松江、熊本、神戸、東京などを転々としますが、1904年54才で、日本の土となり、雑司ヶ谷霊園に眠っています。

 八雲は日本人です。松江で出逢った小泉節子さんと結ばれ、妻子の行く末を考えて、日本に帰化しましたから。ほかにも、いろいろなことが分かりました。八雲はあまり日本語が得意ではなく、作品は、ほとんど英語で書かれています。八雲の日本語は「へるんさん言葉」と呼ばれる独特なものだったので、節子夫人と交わす「へるんさん言葉」による会話を聴いて、「お父さんとお母さんは、おとぎ話の世界の人たちのように思えた」と、お二人の間のお子さんたちは、のちに語っているそうです。

 この本には、八雲の短い作品がいくつも載っています。どれも、みな、それぞれに面白い作品です。その中では異色なのですが、八雲の書いた「生き神様」を再話したものだという「稲むらの火」という短い作品があり、これは、中井常蔵さんという人が作者です。八雲の「生き神様」は、浜口五兵衛という人が、津波の被害から、村人たちを救い、神様として祀られる、というお話で、これは、実話をもとにしています。浜口五兵衛(実名は儀兵衛)も、実在の人物です。昭和の初めに文部省が小学校の国語の教科書に載せる文章を、初めて民間から公募した際、和歌山県の小学校の先生、中井常蔵さんが、郷土の偉人、浜口儀兵衛の事績を八雲の作品をもとにして、短く、小学生でも分かるように再話したものを書き上げ、応募したところ、見事に採用されました。この作品「稲むらの火」は、昭和12年から教科書に載りました。庄屋の五兵衛さんが、地震のあと、高台にある自分の家から下にある村と海を見下ろしたところ、海の水が、どんどんひいて行き、地面の底が現れています。津波の気配を察した五兵衛さんは、とっさに、自分の畑に干してある稲むらに火をつけました。この火を見て、庄屋さんの家が火事だと思った村人たちは、火を消さなければと、続々、高台まで駆けつけてきます。村人たちが、全員、高台に集まった、ちょうどその時、大きな津波が、村に襲い掛かりました。こうして五兵衛さんは、自分の畑を犠牲にして、村人たちの命を救ったのです。五兵衛さんのモデルとなった儀兵衛さんは、現在も続く「ヤマサ醤油」の主です。この「稲むらの火」は、すっかり有名になり、地震や津波があるたびに、引き合いに出されるようになりました。

 平川先生の小泉八雲の本を読んだ数年後に、私は、朗読と出逢いました。初めての発表会で、朗読の先生から「自分の好きな作品を読みなさい」と言われて、私は「稲むらの火」を選びました。読むのに、6〜7分かかります。時間制限がありますので、ちょうど良いと思いました。読む前に著者の了解を得なければいけません。「小泉八雲・・・」の出版元の新潮社に問い合わせ、平川先生の連絡先を訊いて、手紙を出し、中井さんのご住所を教えていただきました。

 中井さんあてに手紙を出した数日後、日曜の午後に、電話がかかってきました。和歌山の中井常蔵さんご本人からでした。中井さんは、私の話を聞いて、「稲むらの火」を朗読することを、快く許して下さいました。「その代り、朗読をテープに録音して送ってください、聴いてみたいので」とのことです。発表会は無事に終わり、約束通り、テープを中井さんに送りました。すると、数日後、やはり日曜の午後に、中井さんから電話がありました。「テープを聴きましたよ、いやあ、いい声ですなあ」と、中井さんは、私の未熟な朗読をほめてくださいました。それがきっかけで、中井さんとは、しばらく文通するようになりました。中井さんは、私の住んでいる小金井に、以前いらしたことがあるようで、それも話題になりました。けれど、いつの間にか、文通は間遠になり、やがて音信は絶えてしまいました。

 そして、長い時間が経ったあと、再び「稲むらの火」を朗読することになり、お許しを願う手紙を出しました。すると、数日後の日曜に電話が来ました。常蔵さんの息子さんからでした。予想していたことではありますが、常蔵さんは、平成6年に86才で亡くなられた、ということでした。お悔やみの言葉を述べますと、息子さんは「失礼ですが、おやじとは、一体、どういったご関係でしょうか?」と質問なさいました。私が説明しますと「それは、おやじの晩年に花を添えてくださって、ありがとうございます」と言われ、続けて「これから、「稲むらの火」を、どうぞご自由にお使いになってください。それから、和歌山にお立ち寄りの節は、ぜひご一報ください」と締めくくられました。こうして「稲むらの火」は、防災教育に役立っているだけではなく、中井常蔵さんの心にも、私の心にも、ぽっと灯りをともしてくれたのです。

 なお、中井さんが再話なさった八雲作の「生き神様」というお話には、後日談があります。「生き神様」の主人公、浜口五兵衛(儀兵衛)さんのご子息が、イギリスに留学された際、ある日、日本についての講演を頼まれました。講演が終わったあと、司会者が、聴き手の方たちに「なにかご質問はありませんか?」と呼びかけたところ、一人のイギリス婦人が、立ち上がりました。そして、おずおずと「私は、ラフカディオ・ハーンの愛読者ですが、今日、講演をなさった浜口様とハーンの「生き神様」の主人公、浜口五兵衛(儀兵衛)さんとは、同じ苗字でいらっしゃいますね、お二人の間には、なにかご関係がおありなのでしょうか?」と尋ねました。とたんに浜口さんは、絶句してしまわれました。不審に思った司会者が、浜口さんに近寄って、話を聞き、そして、聴衆に向かい、「今日、講演してくださった浜口さんは、まさしくあの浜口儀兵衛のご子息だそうです」と伝えたとたん、会場は、この偶然の一致に驚いた人たちのわっ!という歓声に包まれたそうです。常蔵さんと私の心に灯りをともしてくれた「稲むらの火」の原作「生き神様」も、イギリスと日本の間に灯りをともしてくれたように思います。

 

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