ニコライ堂、そしてアーネスト・サトウの奥さん

 

 駿河台で行われた講演会に行きました。講演会が始まるまで少し時間があるので、近くのニコライ堂を訪ねてみることにしました。待っていると、ちょうど1時に扉が開き、信者の有志らしい女性が、私を含め数人の見学者のために、ガイドを務めてくださいました。

 この女性は、なかなか綺麗な方でした。70代だろうと思います。細面で彫の深い顔立ち、銀髪をグレーのハンカチで束ね、やはりグレーの服を身に着けています。まるでシスターのようなたたずまいですが、シスターではないそうです。日本人のようで、洗礼名はソフィア(叡智を意味します)さんとのこと。感じのいい良く通る声で説明をしてくださいました。

 説明をしている彼女に、先年亡くなられた、ストーリー・テラー、桜井美紀さんの面影を重ねてしまいました。ソフィアさんも、ある意味ではストーリー・テラーといえるかもしれません。

 ニコライ堂は1891年(明治24年)に建立され、関東大震災で倒壊し、再建されたこと。その名称は、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人大主教、聖ニコライにちなむこと。また明治時代に、ニコライの計らいにより、日本人女性として初めて、絵(イコン)の勉強に、ロシアに留学した山下りんのこと。彼女のイコン(聖画)は、ここニコライ堂にはありませんが、日本各地の教会にあるそうです。

 また、ロシア正教は、キリスト教の中で、もっとも古い歴史を持つ一派であること。世界中のいろいろな国で布教をしているが、どこの国でも、その国の言葉で福音を伝えること。だからギリシアでは、ギリシア正教、日本では日本ハリストス正教会という名称になること、などなど。

 そのほか、キリストのいろいろなエピソードや、教会とは、神の国を思うところ・・・など、気持ちのいい声の説明を聴きながら、燃える蝋燭の炎を見つめていると、ああ、信仰を持つのも悪いことではないな、と思えてきます。

 それから、これは初めて知ったのですが、古代ローマ帝国の公用語はギリシア語だったそうです。ラテン語だとばかり思っていました。なぜギリシア語だったのかは、ソフィアさんに質問して、お答を聴きましたが、ちょっと複雑だったため、私には覚えられませんでした。

 とても心が豊かになったような気がして、ニコライ堂をあとにしました。

 その後に行った講演会も面白かったです。日本の英国大使館の歴史と、そこで暮らした歴代の大使夫人や、大使館で働いた女性たちの話です。講師は英国大使館で働く英国人女性と結婚した、日本人男性です。現在はライターをなさっているとのこと。奥様は結構偉い方だそうで、ご一緒に、二人のお子さんを育てられたそうです。大使館の敷地の中にお住まいです。

 この方のお話で、明治時代に駐日公使を務めたアーネスト・サトウには、日本人の内縁の奥様がいらしたことを知りました。奥様の洋装の肖像写真が残っています。奥様やお子さんは、どういう一生を過ごされたのでしょう。

 昔、日本に住んだ外国人男性の中には、日本人の内縁の奥様を持たれる方があったように聴きます。また、アーネスト・サトウの場合はどうか分かりませんが、帰国する際、奥様やお子さんを日本に残すこともあったようです。残された方たちの行く末が気になりました。

 昨日はお勉強の一日でした。あ〜!面白かったです。

 

追記: うれしいことをニコライ堂で知りました。ロシア正教では、神父さまは結婚できるのだそうです。それについて以前、下記のような映画を観たことがあります。

 昔、南米かどこかのスペイン領の国で、神父さまと信者の女性が恋におち、逃亡を続けるのですが、とうとう捕えられて、二人は銃殺されます。実際に起こった事件のようです。なんとも辛い映画でした。ロシア正教では、このようなことはないのだと思うと、ほっとしました。

 

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