ひとことも、言葉をかわすことがなかったのに、忘れることのできない
ある出会いのことをお話ししましょう。

 
あれは、もう20年以上前になるでしょうか・・・

若かった私は、あるヨーロッパ・ツァーに参加していました。ポルトガル滞在三日目の、
リスボンの朝です。次の国へ発つ日なのですが、前日、繁華街、ホセ・アントニオ通りで
見かけた小さな壷のことが気になります。素朴ないい壷でした。荷物にならないし、
値段も手頃です。なぜ買っておかなかったのかと、悔やまれて仕方がない私は、
出発までの短い時間を利用して、ホテルをとび出しました。

 集合の時間に遅れたら大変です。いそいで歩かなければなりません。
息を切らしながら、石畳の並木道を歩きました。
やっと目的の店に着き、無事、壷を手に入れることができました。

 帰りも、いそぎました。そして、まだ繁華街を抜け切らないうちに、
歩いている人の波が切れた瞬間、向こう側の歩道を歩いている人が、
ふと、目にとまりました。その人も立ち止まって、じっとこちらをみつめました。
私と同じ年頃のお嬢さんで、日本人だとすぐにわかりました。黒い髪、黒い目、小柄な体、
いえ、それよりも、海外で出会ったら、日本人どうし、なんとなく相手が日本人だと
ぴんとくる感のようなものがあるのです。

 その人は、旅行者ではないようでした。もうかなりの間、ここに滞在しているような
感じです。地味なブラウスとスカートを身につけ、リスボンの質朴な街並みに、
しっくりと溶け込んでいましたから。 長い間、同じ年頃の日本人女性に
会っていないのではないでしょうか。パリやロンドンと違って、
リスボンに来てからの三日間、私たち自身、他の日本人は、一人もみかけませんでしたから。 その人は、なつかしそうな目をして、とても話しかけたいようすでした。
私も、とても、お話をききたかったのです。でも、もう時間がありません。
約束の時間は近づいていました。

 私の、いそいでいる様子を察したのでしょうか、その時、彼女は突然、私にむかって、
深々とおじぎをしました。私も、思わず、深くおじぎを返しました。
そして、後ろ髪をひかれる思いで、街角をあとにしたのです。

 あの方は、どういう方だったのか、長い年月が流れ、今は知るすべもありませんが、
あの出会いのことは、いつまでも私の心に残ることでしょう。

第2回 忘れられぬ人

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